岡本君のこと   1 comment

Posted at 9:35 pm in diary

岡本君が死んでしまったらしい。
今、告別式から帰ってきたところなんだけど、まだ実感がなく、信じられない。

岡本君と最初に会ったのは彼が今は休刊してしまった「ハッカージャパン」誌のアルバイトの面接に来たときで、なんというか当初の印象は「普通の人」だった。この「普通の人」というのはかなりハードルが下がったもので、ちゃんと会話ができて(コアタイムギリギリの)13時に出社していきなりご飯食べながら新聞を読まないというレベルだ。日給7000円のハッカームック(まだ定期刊行物ですらなかった)というよくわからないものに応募するなんて人はだいたい何かが足りない人だったのだ。面接の後、ボスとようやく「普通の人」がやってきた、と喜んで来てもらうことになったのだった。

岡本君はその後順調に編集者への道を歩み、定期刊行物となり、僕が退職した後も「ハッカージャパン」誌を休刊まで支え続けることとなった。

彼は編集者としても普通の人で、10年以上白夜書房勤めてはいたものの、悪いこともないけれども特に目覚ましい成果というものもなかった。最初に企画して出版されたのは「2ちゃんねる中毒」という書籍で、2ちゃんねるの権利関係で揉めたりいろいろあって半分くらいの原稿を自分で書く羽目になっていた。ハッカージャパン本誌の仕事もあって死ぬほど忙しかったので原稿もボロボロで最後ギリギリで青焼きが出てからたくさんのミスがあってQuarkのデータを直接修正した記憶がある。

彼は「2ちゃんねる」の書籍を企画するくらいなので、職場でも家でも常にネットを見続けていた。ミワタソ祭りとかで盛り上がった記憶がある。その頃からすでに「hagex」としての活動をしており、会社の僕の隣でサイトを更新していたこともあった。そんなことが許される会社だった。

僕が退職してからも交流は続き、仕事を振り振られる間柄となった。つまるところ自分で書くほどの余裕はないけど誰がライターでもいいような個性のいらない原稿を気軽に頼める相手ということだ。

ぼくは「山本洋介山」などのペンネームを使い、彼は「江原顕雄」などのペンネームを使っていた。ペンネームはお互い会社バレが面倒だったからだ。

もともと彼は「危ない一号」とか根本敬なんかを読みながらテクノを聞くゴリゴリのサブカル少年で、基本的にはネットには書けないゲスい話が大好きで、打ち合わせのたびに誰かの噂話だったり不幸になってる話だったりネットで掘ったヤバイ情報だったり自分が追いかけてるヤバい奴の話をしたりしてた。

ぼくは転職先でサラリーマンをしながら「ハッカージャパン」で原稿を書き続け、「2ちゃんねる公式ガイド」の編集者を紹介されて原稿を書いたりもした。彼には自分がそのころ連載していた@ITの編集者を紹介してそこで原稿を書くようになり(現在も原稿が読めます。アイティメディアいい会社ですね!)、晋遊舎で一緒にムックを書いたりもした。

そして再度転職した出版社では「ネットでライフハック」という別の仕込みの間を埋めるために作った書籍を共著者の一員として書いてもらったり、その後ブームの残り火で作ることになった「セカンドライフマガジン」ではPCのレビューや穴埋めの原稿を書いてもらったりした。「セカンドライフマガジン」のWebにも寄稿してもらった気もする。ぼくは身体を壊すほど忙しかったが、合間を縫って「セカンドライフ」の原稿をハッカージャパンに書いた。

身体を壊したぼくはフリーになった。これまでにも増して「ハッカージャパン」に、誰も書く人がいないときにとりあえず岡本君には荒く使われ、たくさんの原稿を書かされるようになった。とはいえこのとき誰かの代打として書いたWebアプリケーションセキュリティの原稿が今の仕事に繋がっているのだから、世の中何があるかわからない。

代わりといっては何だが、岡本君にはぼくのそのときの主な収入源となっていた資格試験の問題作成の下請けをしてもらっていた。関わってた「インストールマニアックス」の数合わせに参加してもらったりもした。そしてハッカージャパンムックとして一緒に編集して原稿もいっぱい書いた「無線LAN教科書」シリーズは割と当たり、内容にそれほど変化がないにもかかわらず都合6年も続くことになった。

そしてハッカージャパンが休刊し、似たようなタイミングで岡本君はスプラウトに転職し(その前から準備の話は聞いてたので、なくなったから辞めたわけではなかった)、ぼくは今のWeb脆弱性診断の仕事をするようになった。5年くらい前のことだ。

その後も交流は続き、ぼくは岡本君に頼まれてスプラウトで講演をしたり、バグバウンティサイトを作るから参加してくれと言われて参加したりした。出る人いないからと言われてテレビにも出た。最後に会社の都合でモザイクかけられて、誰だよあの仮名付けた奴と笑ったりもした。

そんな中で彼は「hagex」としての活動も手を広げていった。打ち合わせのたびに、あのブログ、PVだけはあるんだけど誰もバナークリックしないからちっと儲からないんですよ、とグチをこぼしていたのだが、広告ではなくサイゾーなどでWebの連載を得たり単著の書籍を出したり、こじらせ女子とイベントしたり、阿佐ヶ谷ロフトでイベントしたりと徐々に知名度を上げていった。

最後に会ったのは3月だった。次の仕事で必要となる資格の講習を受けにうちの近所に来たので会いませんかということで、いつも打ち合わせに使っていた駅前のトリアノンだった。財務的な話とかリソースの話とか懸念点を伝えると、しばらくは会社員しながら並行していろいろやるからなんとかなるんじゃないかと話していた(とか言ってたけど7月に辞める予定だということを聞いた)。

そして、阿佐ヶ谷ロフトの自分メインのイベントのチケットがまだ三枚しか売れてないんですよ暇ですか近所ですよね?と聞かれた。心配で当日LINEしたら「売れたので大丈夫です」と返事が来た。そんな男だった。帰り間際にうちの奥さんが某漫画家とトラブルになった話をしたら、目を輝かせて「それ今日の話の中でいちばんいい話ですよ!東内さんの名前出さないからいつかサイトに書いていいですか?」と聞かれたのが最後の話題になるとは思わなかった。

なにぶん、まだ実感がないとか書いてるのだけど、一昨日、海浜幕張からの帰りの電車の中で、通夜と告別式の日程が送られてきたとき、たしか前にVladさんが亡くなったとき、岡本君と行く時間とか合わせて一緒に行ったから、電話して相談するかと思ったんだけど、そうか、もう、いないんだ、電話に出ないんだ、と気付いたときには、ぼろぼろ涙がこぼれたんだった。

Written by bogus on 6月 27th, 2018

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