ハッカージャパンとその頃の自分を振り返る12(2001年-3)   7 comments

Posted at 2:40 pm in diary,internet,日記

ぼくはずっと冬休みみたいなものですが、世間はようやく冬休みのようですね。連載させていただいてたセキュリティにゃーくサイドも最後の原稿を提出しました。1年間ありがとうの感謝として掲載した写真を使ったカレンダーを作成しました。よろしければお使いください。 http://bogus.jp/nyarkside_calendar.pdf

cats_2013-12-22_13

ご愛読ありがとうございました。

 

さて、編集部も3人体制に戻り、Vol6の作業に入ります。自分が取材に行かないこともあってほぼ興味の範疇から外れていたBlacHat/DEFCONなのですが、このとき急に取材に行くことになりました。アメリカに行くからといって特に回ってくる仕事が減るわけでもなく、英語もできないのでそれほど乗り気でもなかったのですが、仕事なので仕方ありません。パスポートを取ったり、取材用のノートパソコンを買ったりデジカメを買ったりとずっと先延ばしにしていたことを一斉にやったため、いろいろ大変でした。

●ハッカージャパン21 Vol.6(2001年9月発売)

そして忙しさもあって何がどうなってるか今ひとつわからないままツアーに混ぜてもらってアメリカに飛んでいきます。BlackHat/DEFCONですが、BlackHatの同時通訳がひどかったのと(通訳の人が素人だったので仕方ありません)取材が終わって夜中に特集の原稿を書いていたのでひどく疲れたのだけが記憶にあります。そして、会場内でプレスバッジを盗まれました。あと日本のテレビ局が退場処分になったのもこの回だったはずです。

Exif_JPEG_PICTURE

またまた大変な目に遭ったVol.6

DEFCON

BlackHat

そんなDEFCONですが、関係ないところでやっかいごとに遭遇します。DEFCONの後サンフランシスコのどこかの施設に見学に連れて行かれることになっていたのですが、その見学を手配していた会社の人が、突然誌面にレポート記事を入れろとねじ込んできます。斉藤さんと話が付いているのか確認しても、それは知らない、お前が決めろとはぐらかします。

他の出版社の仕事を経験した今となってみると、それは記事広告の扱いとなるのでここで即決なんてできない代理店を通すべき案件で、とりあえず広告担当に見積もりを取らせるから予算はいくら? と即答できるのですが、なにぶん上と彼との間でどんな話になっているかもわからず、広告の入ったことのないムックと書籍しか経験してないんですから、明確な返事をすることもできません。

日本と連絡してから返事するからと先延ばしにしようとしますが、記事を載せないなら見学には連れて行かないと、なぜか相手は激怒です。といってもこちらはただの編集部員、タダで広告を出す権限もなければ、ページの内容を決める権限もありません。時差があるうえに週末で休みの日本に電話しても誰も出てくれません。とにかく上に連絡を取るから待ってくれというしかありません。

しかも、相手にこちらの上とはどんな話し合いをしているのか聞いてみても、そのことに関しては答えてくれず、上のことなんかはどうだっていい、今ここであなたが決めてくれ、としか言いません。無茶な話なのですが、こちらも日本と連絡が取れない以上、先延ばしにして連絡を待つしかありません。

いつまでに返事すればいい?と確認すると日曜夜だというので、クソ疲れているのになんでこんなやっかいごとに巻き込まれなきゃいけないんだと頭を抱えながらも待ちます。本当に楽しくないアメリカ出張です。

朝まで連絡取れなければ、まあ最悪記事に適当に埋め込んで何とかするか… と腹を決めながらも、日本との連絡を模索していたのですが、期限まで半日ほどを残して、再び某社の人から電話です。

もう、いい、お前みたいなやつはいい! お前はアメリカにやってきたんだから、お前が全て決めろ! お前はうちの新人の●●以下だ! うちの新人の●●だって、一人で出張したら○○の代表として、1人で決める! もういい、他に連れて行く人を手配したから、あなたはサンフランシスコ観光して勝手に帰ればいい!

と一方的に怒鳴られて電話を切られました。こちらから電話をかけ直しても、もう、いいです。決めたことなので、観光でもしててくださいよ。と切られました。

DEFCONが終わり、予定もないのにぼくとその会社の人たちはサンフランシスコに移動です。
一緒のホテルに泊まり、朝になったら、自分以外は本当にもういなくなってました。帰りの飛行機は翌日なので1日スケジュールが空いたので、英語もわからないながら1人でサンフランシスコ観光をして次の日の飛行機で日本に帰りました。強くなった気がしました。

北京オリンピックが決定したときでした

北京オリンピックが決定したときでした

数年後、後に内閣官房参与になる人に打ち合わせをしていた最中に突然ブチ切れられましたが、ああ、前にこんな事あったわーと淡々とやり過ごすことができました。

会社に帰っても特にフォローもなく、何があったのか強く聞くこともできず、結局どうしてあんな目に遭ったのかはわからずじまいです。この人とはそれから後もイベントで何度も会うことになるのですが、この日のことを覚えていないかのように穏やかに話しかけてきます。

Written by bogus on 12月 28th, 2013