ハッカージャパンとその頃の自分を振り返る12(2002年-1)   2 comments

Posted at 10:59 am in diary,internet,日記

世間は仕事始めみたいですが、ぼくは仕事がないので引き続き冬休み継続中です。来年の冬まで継続しないことを願っています。

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新たな職場に飛び移りたいものですが

 

そういえばすっかり忘れていましたが、多木さんと前後するように編集部に吉田さんも入ってきていました。5人だった時期があったんですね。

吉田さんはたしか元Novelの人でライターさんとして主にWindowsネットワーク系の原稿を書いてもらっていたのですが、お手伝いしてもらっているうちにいつの間にやら編集部員になっていました。その後退職されるのですが、フリー編集/ライターとしてHJの休刊まで関わることになります。何かのイベントでport139の伊原さんにハンドル名で吉田さんのことを尋ねられたことがあってそのときにはじめて知ったのですが、実はNetWare界では有名人だったようです。

そんな吉田さんですが、近くで作っていた「それゆけパチパチ1ヶ月」(うろ覚え)みたいな名前の売れずにすぐに廃刊になったパチンコ雑誌に「会社帰りにちょっとスロットを打つのが趣味の吉田係長」という偽読者モデルとして駆り出されて掲載されたため、その後現在に至るまで白夜の中では吉田係長と呼ばれることになります。

また、セキュリティ界ではDEFCON Japanという名称が使えなかったので名称変更を余儀なくされた「A.D.2000」や「A.D.2000」、「セキュリティ・スタジアム2001」などのイベントが行われたりして、それなりに活況になってきます。HJでもそのあたりで登壇されていた人や会場で話をしたOfficeさんやたりきさん邪悪神父さんなどに原稿を書いてもらうようになります。

このころ創刊された日経ネットワークセキュリティ

このころ創刊された日経ネットワークセキュリティ

 

2002年になりました。他社からは翔泳社のセキュリティマガジンや日経ネットワークセキュリティなんてムックが出たり、B-Geeksも発売を続けているなど(悪のマニュアルシリーズの書籍もいろいろ出てました)、セキュリティ出版界は大盛況でしたが、ムックの「ハッカージャパン21」は地味に売り上げが下がりつつあり、このままでは続けるのは厳しいということで、Vol.8で最後ということになります。

色紙を使った連載が始まったところなのを見てもわかるように、編集部としては特に終わらせるつもりはなかったのはずなのですが、本社の意向なので仕方ありません。そしてこのあたりから営業の方からぼくのところに、ハッカージャパンやめて技評のようにIT書籍をたくさん出そうよという内線が何度もかかってくることになります。

そんな技評を目指したい営業の意向もあってかなくてかは忘れましたが、Vol.8と並行して書籍「インターネットツール構築論」を出すことになり、ぼくはその編集に忙殺されることになります。これも連載をまとめたものですが、加筆修正も多いうえにHJの作業もあって(少しは減らしてもらったはずですが)いろいろ大変だった気がします。それでも無事に期末の3月にちゃんと発売されました。売れそうな気がしてたのですが、今となっては戦略的に失敗したと思えるところもあって思ったほどは伸びず、いろいろ後悔することがある本でした。

インターネットツール構築論

インターネットツール構築論

●ハッカージャパン21 Vol.8(2002年3月発売)

そして最後となるVol.8ですが、特に最後だからと言って変わったこともなく終わりを迎えます。特集1はたりきさんによるIEの脆弱性の話で、もう修正されているものばかりですが今見ても興味深いものがあります。そして今読んで思い出したのですが、特集2はぼくが全部書いてますね。たしかトレンドマイクロのルータに何か問題があって担当の人が編集部に来て話をした覚えがあります。

最後のハッカージャパン21

最後のハッカージャパン21

この頃から原稿をがっつり書くようになります

この頃から原稿をがっつり書くようになります

そして、追い込まれた編集部はじゃあどうする? ということで起死回生を狙ってというか破れかぶれというか目先を変えてというか、まあ理由はいろいろあるのですが、雑誌としてスタートすることになります。次からは隔月刊ですよ。

 

Written by bogus on 1月 6th, 2014